自動翻訳技術が発達した時代に、英語を学習する価値はあるのか

今更ながら英語の勉強を始めました。

現代は、自動翻訳機能がめざましい進歩を遂げています。

たいていの言語は、Google翻訳で翻訳することができ、スマホさえあれば海外旅行で言葉の面で不自由することは少なくなりました。

対して「英語を勉強したい」と思っている人も多く、ぼくもやっと思い腰を上げて英語を勉強し始めました。

今回は、自動翻訳が進歩する時代において、ぼくが英語を学習する理由について書きたいと思います。

自動翻訳技術の発達で、英語学習は不要になるのか?

現代の自動翻訳技術は本当にすごい。

何十カ国もの言語を数秒で翻訳してくれます。ネパールの旅では何回も助けられました。

▶︎ネパールより 全話

しかし、スマホに強い口調で「私は怒ってる!」と音声入力したところで「I’m angree!!」と怒った口調で翻訳はしてくれません。

近い将来、そういった機能も開発されるのかもしれないけれど、
現時点では、自動翻訳は感情までは翻訳できないです。

言葉に感情を乗せることができなければ、相手に気持ちを伝えたり、深いコミュニケーションを取ることは難しい。

だからぼくは、より深いコニュニケーションを望むのであれば、言語を学ぶ必要はあると考えています。

日本語も外国語も同様に。

参考リンク:英語学習はもう不要になる?自動翻訳の時代に英語を勉強する意味

言語を学ぶことは文化を学ぶことだ

インドのある地域では「ありがとう」「ごめんなさい」を言わないらしです。

これには、ヒンデゥー教の考え方が関係しているようです。

言語を学ぶと自然とその地域の文化が見えてきます。

言語を学ぶことで知ることができる、文化の違いは学習の副産物でなどではないと思います。

さらに自動翻訳技術が進歩すれば、自分の意図を伝えるだけであれば、スマホを使うだけで言語を学ぶ必要はなくなるかもしれません。

これからの時代は、「文化を学ぶために言語を学ぶ」時代が来るのかもしれないです。

究極のミニマリズムは学び続けること(コラム)

このブログを読んでくださっている方は、少なからずミニマリズムに興味がある人が多いと思います。

みなさんにとって究極のミニマリズムとはなんですか?

ぼくにとって究極のミニマリズムとは「モノに頼らずに、あらゆる状況に対応する」ことだと思います。

旅をする時、自動翻訳機能のあるスマホを使うのは悪いことではないけれど身軽とは言えません。

できることなら、英語を学び、その土地の言語を学び、その土地に適応して生きていく。

ミニマルに生きるためには、変化する状況に適応するために学び続ける必要があります。

だからぼくは、究極のミニマリズムは学び続けることだと思います。

今日はここまで。またきてね。

合わせて読みたい記事

▶︎ミニマリスト流のデジタルデトックスの考え方

▶︎人生に必要なモノはあまりにも少ない

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です